ナパヴァレーの魅力に着目
私とナパヴァレーとの出会いは、この地の勃興が始まったばかりの1992年です。当時広告代理店に勤務していた私は、アメリカ東海岸のニューヨークとイタリアとを毎年交互にCM撮影に出かけていました。この時の私はプロジェクト・リーダーという立場から、時間的・肉体的にも神経的にも自分の限界との闘いでした。そんなある時、ニューヨークでの撮影と清算業務を終え、帰国の途へと向かったのですが、約一ヶ月滞在の疲れと高ぶった気持ちを癒すために、成田へ直行するのを止めてサンフランシスコで一泊トランジットすることにしました。この時訪れたのがナパヴァレーで、これが後にナパヴァレーにオフィスを構える、NAPA OFFICE.USの始まりとなりました。1990年代初頭のナパヴァレーといえば、一部のワイン専門家には世界の一つのワイン地域としては認知されつつも、牧畜場も果樹園もある素朴なカントリーでした。しかしこの地を初めて訪れた私には不思議な感動と印象が残りました。ヨーロッパを感じさせるカントリーで、そこに住む人々には知性と粋なセンスがあり、アートが溢れる不思議な世界であったからです。これを機に会社勤務の傍ら時間をつくってはこの地を訪れるようになりました。往来する機内誌にはナパヴァレー関連の記事が増え、ある時の機内映画では『私の新婚旅行は、絶対ナパヴァレーよ・・・』との女優のセリフ。私はこの時、ナパヴァレーはアメリカでもまさに人気に火が付き始めたばかり、と確信しました。そして第二の人生をこれに賭け、私の手でナパヴァレーを日本の人々に紹介することを誓い、会社の早期退職と同時にナパヴァレーにオフィスを構えたのです。
◎日本初のワイン・ツーリズム第一走者へ。
(ライター&作家、カメラマン、コーディネーターを兼務)
自分の感性と今迄築いてきた仕事の実績を信じてスタートしました。しかしいざ取り組むと、当時の日本のメディアは、ナパって何?記事や番組としてコンテツ量は足りないのでは?等のすげない反応。また現地ではワイン商やジャーナリストとしての実績もなく、多分現地の人々には得体のしれないただの変な日本人の旅人に映っただろうと思います。
しかし4~5年間の地道な努力の甲斐あって、徐々にテイクオフし始め、ある実績が次のプロジェクトを生みし、今日に至った次第です。
これまでの主なる歩み
2008年、『ナパヴァレーのワイン休日』(樹立社刊:現在絶版)を文と写真で出版。これが日本初の
ワイイン・リーズム本となる。
同年、『家庭画報』(世界文化社)5月号で、約20ページにわたる“ナパヴァレーの休日”特集を。同年夏、私の著書を持ち現地を訪れた女優相田翔子さんからお声がかかり、ナパヴァレーをヴァーチャルな旅をする彼女のFM番組に5週にわたり出演する。同年末、世界7カ国語で翻訳されナパヴァレーを有名にし、新世界ワイン(国)のワインづくりの人々に勇気を与えた『パリスの審判』の著者:ジョージM.テイバー氏とナパヴァレーで会食。今日まで交友を続け、彼を始め『パリスの審判』に登場する主人公全員と接触あるいは交友を持ち続け
ている。多分日本で私一人だと思います・・・。
2008年秋から翌2009年、20世紀Fox&フジTVの劇場映画『サイドウェイズ』制作でワイナリーの撮影交渉とセリフ内容等のチェック等、ナパ・アドバイザーとして参加。鈴木京香さん、菊地凛子さん、小日向文世、生瀬勝彦さんたちと約1か月ナパヴァレーで過ごす。
鈴木京香さんにレストランでご馳走になったり、彼女お手製の稲荷ずしを頂いたことは大切な思い出です。2010年、ナパヴァレーを問わず全米でも話題の3つ星レストランTHE FRENCH LAUNDRYが発行する雑誌『FINESSE』創刊号に、唯一の外国人ライターとして寄稿依頼受ける。
同年、日本のワイナリーの雄サンクゼールさんのナパヴァレー社員研修を企画・現地を案内する。これを機に様々な会社や団体のナパヴァレー研修ツアーを引き受ける。2010年、『家庭画報』11月号で約20ぺージに渡り、FRENCH LAUNDRYのシェフThomas Keller、Chez PaniseのAlice Warters他を登場させ、ナパヴァレーをワインと食の都として特集する。その後、多くのナパヴァレー関連のイベントや講演を引き受ける。2018年、『ソノマのワイン休日』(世界文化社刊)を第二弾として出版。
2020年、『ナパヴァレー完全ガイド』(世界文化社刊)を第三弾として上梓する。
定期購読誌『WINE PLANET』2023年10月号のナパヴァレー&ソノマ特集で、写真&文とも全て濱本純に任された。